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楚簡文字解読実習

楚簡解読の実例について紹介するページです。


(1)『魯穆公問子思』

郭店楚墓竹簡の中で、最も短編でまとまりのある『魯穆公問子思』を解読してみましょう。全体の釈文・書き下し文・現代語訳に続き、竹簡の写真と釈文とを併記してみます。

『魯穆公問子思』の釈文・現代語訳・書き下し文・注は、湯浅邦弘「郭店楚簡『魯穆公問子思』釈文」[『戦国楚系文字資料の研究』所収]による。部分的に竹田健二が改めた箇所があるが、煩雑を避け注記を省いた。また、写真は文物出版社『郭店楚墓竹簡』による。

【釈文】

01魯穆公問於子思曰、「何如而可謂忠臣」。子思曰、「恆稱02其君之惡者、可謂忠臣矣」。公不悦、揖而退之。成孫弋見、03公曰、「嚮者吾問忠臣於子思、子思曰、『恆稱其君之惡者可謂忠04臣矣』。寡人惑焉、而未之得也」。成孫弋曰、「噫、善哉、言乎。05夫爲其君之故殺其身者、嘗有之矣。恆稱其君之惡者06未之有也。夫爲其[君]之故殺其身者、交禄爵者也。恆07[稱其君]之惡[者、遠]禄爵者[也。爲]義而遠禄爵、非08子思、吾惡聞之矣」。

【書き下し文】

魯穆公 子思に問いて曰く、「何如なれば忠臣と謂うべきか」と。子思曰く、「恒に其の君の悪を称する者、忠臣と謂うべし」と。公悦ばず、揖して之を退く。成孫弋見ゆ。公曰く、「嚮者に吾れ忠臣を子思に問う。子思曰く、『恒に其の君の悪を称する者、忠臣と謂うべし』と。寡人惑いて、未だ之を得ざるなり」と。成孫弋曰く、「噫、善きかな、言たるや。夫れ其の君の故の為に其の身を殺す者、嘗て之有り。恒に其の君の悪を称する者、未だ之有らざるなり。夫れ其の[君]の故の為に其の身を殺す者は、禄爵と交わる者なり。恒に[其の君]の悪を[称する][者は]、禄爵を[遠ざくる]者なり。義を[為]して禄爵を遠ざくるは、子思に非ずして、吾れ悪んぞ之を聞かん」と。

【現代語訳】

魯の穆公が子思に、「どのようであれば忠臣といえるだろうか」と問うた。子思は、「常にその君の悪い点を指摘する者こそ忠臣と言えます」と答えた。穆公はその答えを喜ばず、おじぎをして子思を退出させた。成孫弋が穆公に謁見した。穆公は「さきほど忠臣について子思に問うたところ、子思は『常にその君の悪い点を指摘する者こそ、忠臣と言えます』と答えた。私は、その答えを意外に思い釈然としない」と言った。成孫弋は、「ああなんと素晴らしい言葉でしょうか。そもそもお仕えしている君のために我が身を殺す者、というのは聞いたことがありますが、(子思の言うように)常にその君の悪い点を指摘する者、というのはおりません。お仕えしている君のために我が身を殺す者、というのは俸禄や爵位と交わる者。常にその君の悪い点を指摘する者、というのは俸禄や爵位を我が身から遠ざける者と言えます。正義を実現するために俸禄や爵位を遠ざけるということは、子思以外の誰にできましょうか」。

【注】

  • 魯穆公…魯国の君主穆公(在位前四〇九~前三七七年)。
  • 子思…錢穆『先秦諸子繋年』によれば、生卒年は前四八三~前四〇二。孔子の孫で、鯉の子。子思は字。曾子に学んだ。『中庸』は、子思学派の人々によって編まれたという。『漢書』芸文志に、『子思』二十三篇を著録。現存『礼記』中の中庸・表記・坊記等は子思の著作と伝えられる。魯の穆公に仕える。
  • 成孫弋…未詳。
     

 

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【注】

  • 「忠臣-」…「-」は墨釘(短横)。句読点を表す。
  • 子思=…「=」は重文符号。同一文字を重ねる。
  • 」…墨節。第08簡は、竹簡上端からの文字列に続いて墨節が記され、そこから竹簡下端までは一字も記されていない(「留白」)。この墨節と留白とで文献の末尾を示す。


(2)人名と主要ターム

中国古代の著名な人名、および中国思想史の主要なターム(学術用語)は、郭店楚簡・上博楚簡ではどのように表記されているのでしょうか。(こうご期待。制作中)

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