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宝鶏青銅器博物館

中国西安・上海学術調査報告 INDEX

『戦国楚簡研究2007』(『中国研究集刊』別冊特集号〈総四十五号〉)
平成十九年十二月 一四四―一六七頁

五、宝鶏青銅器博物館

周公廟の視察を終えて宝鶏市内に移動した我々は、昼食の後、宝鶏青銅器博物館を訪問した。雨は上がり、青空が広がっていた。今回の調査で、これほどきれいに晴れたのは初めてのことだ。

博物館の建物は、全体として青銅器の形を摸しており(写真18)、その壁面に掲げられている「宝鶏青銅器博物館」の館名は、郭沫若が書いたものである。博物館の古い写真を見ると、壁面にあるのはこの館名だけだが、現在は江沢民が書いた「青銅器之郷」の金色に輝く巨大な文字が、より高いところに掲げられている。

博物館では、張亜★(火+韋)副館長の歓迎を受けた。張氏は、「漢字春秋―宝鶏出土文物與漢字文化展―」と題する展示を中心に、時に展示品に関する詳しい解説を交えながら、精力的に館内を案内してくださった。その後、一室に招かれて我々は張氏と会談した(写真19)。

写真18 宝鶏青銅器博物館の正面

写真18 宝鶏青銅器博物館の正面

写真19 張亜★(火+韋)副館長との会談

写真19 張亜★(火+韋)副館長との会談

張氏の話によると、本博物館は一九八八年、周代の青銅器を中心に約一万五千点を収蔵する宝鶏市博物館として開館、その後一九九八年に、中国初の青銅器専門の博物館となった。現在の職員数は、専門員二十八名を含めて総勢六十~七十人程度だそうだ。建物は全体的に痛みが激しく、立て替えの計画もあるとのことである。

館内の展示品で特に興味をひかれたのは、銘文の中に「中國」の語が初めて登場するという何尊、周原で発見された甲骨文、二〇〇三年に陝西省眉県楊家村の窖蔵から出土した西周の青銅器群などである。宝鶏の近くから発見された文字資料は、こうした金文や甲骨文、或いは石鼓文や陶器に記されたものばかりで、簡牘の類はまったくない。

本博物館の代表的な収蔵品である何尊は、ガラスケースの中でターンテーブルに載せられて展示されていた(写真20)。もっとも、機械が壊れているようで回ってはいなかった。

周原で発見された甲骨は、殷墟から出土したものと比較すると、刻まれた文字が極めて微細である。肉眼ではほとんど文字が識別できないほどで、そのため展示されていた甲骨の前には、拡大するためのルーペが設置されていた。張氏の説明では、甲骨自体が細かく砕けており、完全な形で出土したものはなかったとのことである。小さな文字を、どのような道具を使って刻んだのか、またどのようにして読んだのか、そもそもなぜそのように小さく彫ったのか、こういった点などについても、まだ解明されていないそうである。

写真20 何尊

写真20 何尊

写真21 楊家村窖蔵出土の鼎の銘文

写真21 楊家村窖蔵出土の鼎の銘文

筆者が最も感銘を受けたのは、「盛世吉金―眉県楊家村出土文物特別展」として陳列されていた、楊家村の窖蔵から出土した青銅器群である。保存状態が非常によく、青銅器が本来備えていた金色の輝きを留めており、銘文もはっきりと見えた(写真21)。

楊家村の窖蔵から出土した青銅器は、鼎が十二(四十二年荀鼎―二、四十三年荀鼎―十)、鬲が九(單叔鬲)、方壺が二(單五父壺)、盤・盂・★(禾+皿)・★(匚+也)がそれぞれ一(★(しんにょう+來)盤・天盂・★(しんにょう+來)★(禾+皿)・叔五父★ (匚+也))の、合計二十七である。そのすべてに銘文があり、字数の合計は四千字にものぼる。

張氏の説明によると、窖蔵から出土した青銅器は、墓から出土した副葬品、及び民間に所蔵されていたもの(古くに偶然見つかったり、或いは盗掘された後、民間に所蔵されていたもののことであろう)と比較すると、一般に状態がよく、本来の金色を留めていることがある。しかし、窖蔵から出土した青銅器にも錆が付着していることがあり、特に粉状をした錆は有害だそうである。

窖蔵から多数の青銅器が出土した例は、楊家村以外にも、一九七五年の岐山県董家村の窖蔵、一九七六年の扶風県荘白一号窖蔵などがあり、いずれも多数の青銅器が出土している(博物館内では、「岐山董家村西周青銅器窖蔵専題展」も開かれていた)。現在、博物館としては積極的な発掘調査を行ってはいないとのことであるが、今後も新たな出土によって、収蔵品は増えると予測される。

博物館の入り口付近には、大克鼎や毛公鼎、散氏盤など大型の青銅器のレプリカが置かれ、参観者が自由に触れるようになっていた。大克鼎などの実物は、現在上海博物館や台北・故宮博物院など他の場所に収蔵されているが、もともとは清代に宝鶏付近、周原一帯から出土したものである。レプリカを撫でつつ、ここは本当に「青銅器の郷」なのだと強く感じた。

(竹田健二)

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