- 参加記 No.1 目次ページ
- 参加記 No.2 学会の概要
- 参加記 No.3 各会員による報告
学会の概要 (「新出楚簡国際学術研討会」 参加記)
一 学会の概要
二〇〇六年初頭、中国出土文献を専門とする世界の研究者に、武漢大学から招請状がEメールまたは郵便によって届けられた。それによれば、学会参加のエントリーは二〇〇六年三月末日まで、発表論文の提出はワードまたはPDFファイルにより五月末日まで。いずれもEメールによって連絡するよう指示があった。
戦国楚簡研究会では、右の四名がエントリーし、五月下旬、四名の発表論文を筆者(湯浅邦弘)がPDFファイルにとりまとめて、武漢大学の担当者・晏昌貴氏に送信した。その際、筆者は、一人あたりの発表時間が何分であるかを問い、また、全体のプログラムが出来次第お送りいただきたい旨を伝えた。晏昌貴氏からは、その後、一人あたりの発表時間が十分~十五分程度である旨の返信はあったが、プログラムが届いたのは、結局、我々が日本を出発した六月二十五日であり、入れ違いになった。
そこで、我々は、二十五日の夕刻、会場である武漢大学の珞珈山荘の受付で、初めて正式なプログラム「会議手冊」を受け取り、その全容を知ることとなった。「会議手冊」記載の学会のプログラムは次の通りである。
六月二十六日(月)午前
(1)午前八時~九時三十分 大会開幕式 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…郭齊勇 教授
校長致辭…劉經南 院士 (具體時間依賴校長當日上午活動程序)
哈佛燕京学社社長致辭…杜維明 教授(代爲宣讀)
発言人…李学勤、艾蘭Allan、安樂哲Ames、葉山Yates、淺野裕一、林素清
(2)午前九時~十時 記念写真撮影(写真1) 会場…武漢大学行政樓側翼
(3)午前十時~十二時 大会発言 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…陳偉、Robin Yates葉山
発言人…李学勤、林素清、何琳儀、徐少華、季旭昇、 Martin Kern柯馬丁
- 李学勤…楚簡的年代
- 林素清…讀上博楚簡竹書(五)札記兩則
- 何琳儀…貴尹求義
- 徐少華…論《上博五・君子爲禮》的編聯与文本結構
- 季旭昇…上博五《鮑叔牙與隰朋之諫》試讀
- Martin Kern… Reading the "Guofeng"、Reading the "Shilun"讀《國風》、讀《孔子詩論》
六月二十六日(月)午後
(4)午後二時~四時 大会発言
会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…Sarah Allan艾蘭、 Carine Defoort
発言人…Roger T. Ames、Rudolf G. Wagner、湯淺邦弘、郭齊勇、Lisa Raphals、李存山
- Roger T. Ames安樂哲
… Acting upon the Five Acquired Habits
… "Human Beings" or "Human Becomings"?
“五德之行”─探究“人”有無本質性的問題 - Rudolf G. Wagner瓦格納
…The Size of a Thought
… Philological explorations of textual units
in early Chinese literary texts
一個思想的尺度
─對早期中國文獻中的文本單位的語言学解釋 - 湯淺邦弘…上博楚簡《三德》的天人相關思想
- 郭齊勇…上博簡中所見孔子思想及其與《論語》的比較
- Lisa Raphals瑞麗
… Self and Autonomy
─ New Perspectives from Excavated Chu Texts
從新出土楚簡看中國古代關於“自我”與“自律”的觀念 - 李存山…“郭店竹簡與思孟学派”復議
(5)午後四時十分~六時十分 大会発言 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…淺野裕一、張光裕
発言人…彭浩、陳偉、劉信芳、Jeffrey Riegel、谷中信一、劉樂賢
- 彭浩…《鮑叔牙與隰朋之諫》考釋二則
- 陳偉…楚簡文字小識
- 劉信芳…上博簡五試解四則
- Jeffrey Riegel王安國… The Way of Pengzu
─ Notes on a Nurturing Life Text Excavated
at Zhangjiashan
彭祖之道…略議張家山出土的一個養生文本 - 谷中信一…《恆先》宇宙論析義
- 劉樂賢…上博楚簡考釋三則
六月二十七日(火)午前
(6)午前八時~九時二十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…何琳儀、季旭昇
発言人…李守奎、郭梨華、Constance A. Cook、廣瀨薰雄
- 李守奎…《鮑叔牙與隰朋之諫》補釋
- 郭梨華…《鮑叔牙與隰朋之諫》有關“日食”探究
─兼論《管子》禮與法 - Constance A. Cook柯鶴立
…出土文獻所見“威儀”的外化表現 - 廣瀨薰雄…何謂“競建内之”
第二組、会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…Lisa Raphals瑞麗、Roger T. Ames安樂哲
発言人…Sarah Allan、Carine Defoort、黄君良、林志鵬
- Sarah Allan艾蘭
…《唐虞之道》─戰國竹簡中任命以德的繼位学説 - Carine Defoort…楊墨之血在儒家之肉中流淌─從中道的立場看《唐虞之道》
- Kwan-Leung Wong黄君良
…《窮達以時》與《唐虞之道》中的“時”與“遇” - 林志鵬…郭店楚墓竹書《唐虞之道》重探
(7)午前九時三十分~十時五十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…Jeffrey Riegel王安國、劉信芳
発言人…Robin Yates、楊華、Sandor P. Szabo、肖毅
- Robin Yates葉山
…Law and Society in the Qin State and Empire
─ Reflections in the Light of Newly Discovered Texts、Including the Ernian luling from Zhang-jiashan
秦國、秦朝的法律與社會
…根據張家山二年律令等新發現文本所作的反思 - 楊華…港大藏《序★(ウ+丁)祷券》集釈
- Sandor P. Szabo貝山
…陰陽概念的時空關係與九店楚簡 - 肖毅…九店竹書探研
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…金春峰、林素清
発言人…陳來、沈寳春、Kenneth W. Holloway、王書強
- 陳來…竹帛《五行》篇為子思、孟子所作論
- 沈寳春…1993年-2005年郭店楚簡論文總目述評
- Kenneth W. Holloway…《五行》篇的宗教觀
- 王書強…略論“五德之行”
(8)午前十一時~十二時二十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…彭浩、Sandor P. Szabo貝山
発言人…李家浩、劉祖信、趙建偉、范麗梅
- 李家浩
…關於郭店楚墓竹簡《語從二》五一號簡文的釋讀 - 劉祖信…郭店楚簡背面計數字攷
- 趙建偉…楚簡校記
- 范麗梅…郭店楚簡《六德》“仁類■而束”段釋讀
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…Rudolf G. Wagner瓦格納、曹峰
発言人…黄釗、程一凡、高華平、李若暉
- 黄釗…從竹簡《老子》與《老子》河上公章句之比較研究中所得到的啓示
- 程一凡…郭店《老子》書寫的秩序
- 高華平…對郭店楚簡《老子》及老子其書其人的再認識
- 李若暉
…論郭店簡中《老子》丙篇與《太一生水》當為二書
六月二十七日(火)午後
(9)午後二時~三時二十分 小組討論
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…楊華、李天虹
発言人…曹建國、黄人二、尹宏兵、凡國棟
- 曹建國…上博竹書《弟子問》關於子路的幾條簡文疏釋
- 黄人二…上博藏簡第五冊姑城家父試釋
- 尹宏兵…《容成氏》與“九州”
- 凡國棟…《容成氏》九州得名原因試探
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…呉根友、佐藤將之
発言人…郭沂、李鋭、Foong Janice Kam
- 郭沂…儒家核心經典與道德譜系之重構
- 李鋭…郭店簡《性自命出》“實性”説
- Foong Janice Kam甘鳳
…Some Observations on Emotions in the Bamboo
Texts and the Zuozhuan
談竹簡與《左傳》關於情感的思想 - 李承律…郭店楚簡《性自命出》的性情説和“礼樂”
…礼樂的根源中的思想史上的展開
(10)午後三時三十分~四時五十分 小組討論
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…Martin Kern柯馬丁、谷中信一
発言人…滕壬生、福田哲之、魏啓鵬、袁國華
- 滕壬生…待定
- 福田哲之…上博五《季康子問於孔子》的編聯與結構
- 魏啓鵬…楚簡《彭祖》箋釋
- 袁國華…《上博楚竹書(五)鮑叔牙與隰朋之諫》
“※(伐)器”、“滂沱”考釋
第二組、会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…Sarah Allan艾蘭、蕭漢明
発言人…淺野裕一、丁四新、■文、陳仁仁
- 淺野裕一…上博楚簡《鬼神之命》與《墨子》明鬼論
- 丁四新…上博楚簡《鬼神》篇註釋與研究
- ■文…新出楚簡與《周易》的背景關係研究法
- 陳仁仁
…从楚地出土易類文献看《周易》的性質与文本形成
(11)午後五時~六時二十分 小組討論
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…湯淺邦弘、Ольга Городецкая郭靜云
発言人…竹田健二、荻野友范、楊芬、趙書生
- 竹田健二…上博楚簡《採風曲目》中的竹簡形制
- 荻野友范…初歩探討先秦文獻和楚簡中關於“詩”的解釋
- 楊芬…上博簡《仲弓》編連箚記二則
- 趙書生…上博楚簡《從政》與睡虎地秦簡《為吏之道》合論
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…李存山、王葆★(王+玄)
発言人…曹峰、福田一也、張傑、黄敦兵
- 曹峰…《三德》中的“皇后”為“黄帝”論
- 福田一也…上博簡五《三德》篇中“天”的觀念
- 張傑…《上博簡五》学術價値試論
- 黄敦兵…上博簡《多薪》篇對“兄弟”倫理的引釋
六月二十八日(水)午前
(12)午前八時~九時二十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…趙平安、張顯成
発言人…馮勝君、劉國勝、蕭聖中、何有祖
- 馮勝君…楚簡文字雜識
- 劉國勝…《上博五》零箚五則
- 蕭聖中…上博竹書五札記三則
- 何有祖…上博五釋字二則
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…黄釗、胡治洪
発言人…林素英、王葆★(王+玄)、Ольга Городецкая郭靜云、呉勇
- 林素英…《仲尼燕居》、《孔子閑居》与《論礼》纂輯之比較─以《民之父母》為討論中介
- 王葆★(王+玄)…《恆先》思想研究
- Ольга Городецкая郭靜云
…先秦自然哲学中“天恆”觀念 - 呉勇…從竹簡看所謂數字卦問題
(13)午前九時三十分~十時五十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…趙建偉、張傑
発言人…張顯成、侯乃鋒、易德生、房振三
- 張顯成…《上博簡四》中的固定稱數結構
- 侯乃鋒…上博五幾個固定詞語和句式補説
- 易德生
…從今年出土楚簡中的通假異文看“複輔音”問題 - 房振三…釋諧
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…Carine Defoort、高華平
発言人…呉根友、佐藤將之、胡治洪、Shirley Chan陳慧
- 呉根友…“傳賢不傳子”的政治權力轉移程序
─上博簡《容成氏》政治哲学研究 - 佐藤將之…“民不從君言、而從君行”
─郭店、上博楚簡中的非語言統治之政治思想 - 胡治洪…原始儒家德性政治思想的遮蔽与重光
─《緇衣》郭店本、上博本与伝世本■論 - Shirley Chan
… The Political Thinking in the Guodian Ziyi Text
郭店《緇衣》文本的政治思考
(14)午前十一時~十二時二十分 小組発言
第一組 会場…珞珈山荘第二会議室
主持人…劉祖信、程一凡
発言人…劉彬徽、羅運環、晏昌貴、鄭威
- 劉彬徽…新蔡葛陵楚簡的年代
- 羅運環…葛陵楚簡■郢考
- 晏昌貴…新蔡葛陵楚簡“上逾取稟”試解
- 鄭威…新蔡葛陵楚簡地名雜識三則
第二組 会場…珞珈山荘第四会議室
主持人…待定
発言人…待定
六月二十八日(水)午後
(15)午後二時~四時 大会発言 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…Constance A. Cook柯鶴立、林素英
発言人…蕭漢明、金春峰、趙平安、李天虹、林啓屏、虞萬里
- 蕭漢明
…上海博物館藏戰國楚竹書《易經》釋卦四則(上) - 金春峰…上博《詩論》散論
- 趙平安
…上博藏楚竹書《競建内之》第九至十0號簡攷辯 - 李天虹…釋《唐虞之道》中的“均”
- 林啓屏…論《民之父母》中的“三無”
- 虞萬里…從簡本《緇衣》論《都人士》詩的綴合
(16)午後四時十分~五時十分 閉幕発言 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…林啓屏、郭沂
発言人…郭梨華、袁國華、晏昌貴、劉國勝、■文、丁四新
(17)午後五時十分~五時三十分 閉幕詞 会場…珞珈山荘第一会議室
主持人…陳偉
閉幕詞…徐少華
(なお、上のプログラムの内、二日目に予定されていた李承律氏、滕壬生氏は、欠席のため発表がなかった。また、三日目午前中で「待定」とされていた部分は、結局プログラムが組まれなかった。)
会議発表の概況
このように、研究発表は、初日が「大会発言」(全体会議)として行われ、二日目・三日目は「小組発言」(分科会)で行われた。
研究発表の形式は、国際学会の通例であろうか、部会ごとに全員の発表を終えてから、まとめて質疑応答がなされた。例えば、初日の全体会議では、一つの部会が二名の主持人(司会)と六名の発表者によって構成され、六名が十五分の枠内で次々と発表した後、質疑応答に入った。その質疑応答も、一問一答形式ではなく、まず複数の質問者が連続して質問し、該当する発表者が後でまとめてそれに答えるという、言わば集中形式を取っていた。この点は、日本国内で開催される学会との大きな違いであろう。
また、右のプログラムから明らかな通り、発表者の国籍は様々で、まさに国際学会の様相を呈していた。ちなみに、「会議手冊」に記載された名簿によれば、「西方学者」二十名、「日本、韓国学者」十一名、「馬来西亜学者」一名、「台湾、香港地区学者」十六名、「中国大陸地区学者」五十八名(内、半数が武漢地区学者)である。会議での使用言語は、「中国語」と指定された。
研究発表の内容は、概ね、上博楚簡に関するものが半数以上を占め、残りは郭店楚簡、およびその他の出土文献に関する発表であった。このことは、受付で配布された会議論文集にも反映されている。会議論文集は二分冊となっており、「上博簡巻」が論文全四十九本、三九二頁、「郭店・其他簡巻」が論文全三十七本、三一九頁という大冊であった。このことからも、出土文献、特に上博楚簡に注目が集まっていることが看取できよう。日本から参加して研究発表を行った八名も、すべて上博楚簡に関する研究であった。主な研究発表の詳細については、本稿の第二部をご覧いただきたい。
なお、会議終了後の六月二十九日、希望者のみ、荊門・荊州地区(荊門市博物館、郭店楚墓、荊州博物館)への小旅行が行われた。午前六時に武漢大学を出発し、午後十時に帰着するという強行軍であったらしい。我々戦国楚簡研究会は、昨年の夏、荊門・荊州地区の学術調査を行い、その成果を「中国湖北省荊門・荊州学術調査報告」(『戦国楚簡研究2005』(『中国研究集刊』別冊、第三十八号)、二〇〇五年)として発表したばかりであったので、これには参加しなかった。参加費用は自己負担であったが、一人百元(約千五百円)と格安で、学会の内容とも深く関連する地への訪問であり、主催者側のサービスとして高く評価できる企画である。
国際学会の運営
次に、国際学会の運営という観点から、本学会を振り返ってみたい。主催者は、前記の通り七つの組織であるが、実際の運営に当たった中心的人物は、「会議手冊」の「会議籌備人員」として列記された、郭齊勇、徐少華、陳偉、丁四新、晏昌貴、劉國勝の各氏である。運営スタッフは、「會務具體服務人員」として記載された、丁四新、晏昌貴、劉國勝氏をはじめとする武漢大学関係者二十五名である。結論を先に言えば、武漢大学の諸氏は、こうした大規模な学会を見事に運営し、盛会に導かれたと言えよう。
まず、参加者は、到着の日時・場所を六月二十二日までに連絡するよう指示があった。我々戦国楚簡研究会は、六月二十五日の朝、関西国際空港に集合し、空路、関空から杭州空港を経由して、武漢天河空港に午後五時に到着した。杭州から武漢への飛行機が予定より一時間遅れたが、事前連絡の通り、武漢大学の林志鵬氏ら運営スタッフが出迎えて下さり、そこから専用車(マイクロバス)で、約四十キロ南の武漢大学に一時間かけて送り届けていただいた。
会場兼宿舎となったのは、武漢大学内の珞珈山荘である(写真2)。一階ロビーで、まず学会の受付を行い、そこで、「会議手冊」、「会議論文集」二冊、名札、ノート、サインペンなどの入った会議グッズを受け取った。その後、フロントで宿泊の手続き(チェックイン)を行って、各自が部屋に入って荷物を置き、六時半から二階の食堂でバイキング形式の夕食となった。
この珞珈山荘は、部屋数約百、ベッド数約二百、会議室六(内、最大の第一会議室は百名収容)、食堂などを備えており、日本の感覚で言えば、中規模クラスのビジネスホテルに匹敵する施設である。期間中の空港・大学間の送迎、宿泊、飲食はすべて主催者側の負担であった。
これは、日本における「国際化」と比較して、大いに考えさせられる点でもある。日本では、国立大学が法人化されて後、とみに国際化の必要性が叫ばれるようになった。しかし、特に文系の研究者にとって、国際化とは、個人の努力によって、国外研究者と交流を持ち、海外で行われる国際学会に出席することを意味する。言わば、草の根的な交流である。
これに対して、中国の有力大学では、この武漢大学珞珈山荘のように、大規模な国際学会を開催できる会場・宿泊施設が学内に併設されており、国際交流の基盤が整っていると言える。ちなみに筆者の勤務先である大阪大学豊中キャンパスにも、宿泊・会議のできる待兼山会館という施設があるが、部屋数は僅かに七、会議室も定員四十八名の部屋が一室という状況である。日本の大学に組織的・継続的な国際化を求めるのであれば、研究者個々の努力とは別に、こうした基盤整備も必要となるであろう。国情の違いもあるかと思われるが、中国では、国際化を念頭に置いた学術インフラの整備が進んでいるような印象を受けた。
ただ、この学会のあり方について、やや疑問を感ずる点もあった。それは、あまりにも過密なスケジュールである。エントリーした約百名の出席者すべてに発表の機会を与えるためとは言え、三日間とも、朝八時から夜六時過ぎまでびっしりと組まれたプログラムには、閉口した。質疑応答も、前記のような状況で、必ずしも、個々の発表に対して濃密な議論が行われたわけではない。また、二日目と三日目は分科会形式で行われたため、聴きたい発表が同時に行われた際、やむなく、どちらかを選ばざるを得ないという場合もあった。発表者をもう少し絞り込み、その分、質疑応答を充実させるなどの方法もあったのではないかと感じた。
また、プログラムの事前連絡という点も、十分であったとは言えない。前記のように、武漢大学からのプログラムの連絡は、我々の出発と入れ違いになり、我々が正式なプログラムを知ったのは、現地に入った六月二十五日(会議前日)の夕刻であった。もちろん、発表すること自体は分かっていたので、それが何日目の何時からであるかについては、さほど問題ではなかった。ところが、プログラムを見ると、我々メンバーの内、浅野裕一・湯浅邦弘の両名は、それぞれ一日目と二日目の部会の主持人(司会)であると記載されていた。司会者としての準備もあるので、事前の連絡・確認がほしいところであった。
それにしても、こうした大規模な国際学会が武漢で行われ、そこに新出土文献を専門とする研究者が百名も集まったことは驚きであった。日本では、我々戦国楚簡研究会の活動もあって、新出土文献の重要性が徐々に理解されてきてはいるが、それを直接の研究対象とする研究者の数は依然として少ない。世界の研究者がしのぎを削り、中国古代思想史の通説が大きく書き換えられようとしている今、日本の学界も、この現状を真摯に受け止める必要があろう。
(湯浅邦弘)