- 一、学術調査の概要
- 二、上海博物館
- 三、武漢大学簡帛研究中心・長沙簡牘博物館
- 四、岳麓秦簡
- 五、湖南省文物考古研究所
中国研究集刊 剣号(総五十五号)平成二十四年十二月 一二九 ~ 一四九頁
一、学術調査の概要
二〇一二年八月二十七日~九月一日、中国出土文献研究会は、中国上海、湖北省武漢、湖南省長沙において新出簡牘資料の学術調査を行った。
中国では、一九九八年に郭店楚簡の全容が公開され、二〇〇一年からは上博楚簡を分冊方式で公開する『上海博物館蔵戦国楚竹書』の刊行も始まった。さらに近年、里耶秦簡、岳麓書院秦簡、清華大学竹簡、北京大学竹簡などの発見・公開も相次ぎ、出土文献研究は、また新たな飛躍期に入っている。
こうした状況を受け、本研究会では、二〇一二年七月初め、中国への学術調査旅行について次のような計画を立案した。
- 八月二十七日 関空から上海へ、上海にて研究会開催。
- 二十八日 午前、上海博物館にて上博楚簡閲覧。午後、上海から武漢へ。
- 二十九日 午前、湖北省博物館見学。午後、武漢大学簡帛研究中心にて研究会、座談会。
- 三十日 午前、武漢から長沙へ。午後、岳麓書院にて岳麓秦簡閲覧。
- 三十一日 午前、湖南省文物考古研究所訪問、馬王堆漢墓跡見学。午後、長沙簡牘博物館訪問。
- 九月一日 長沙から上海経由で帰国。
参加メンバーは、福田哲之(島根大学教授)、竹田健二(同)、福田一也(大阪大学教務補佐員、大阪教育大学非常勤講師)、白雨田(大阪大学教務補佐員、四天王寺大学非常勤講師)、草野友子(日本学術振興会特別研究員PD)、金城未来(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程院生、日本学術振興会特別研究員DC2)および筆者(湯浅邦弘[大阪大学教授])の計七名である。
計画に基づき、七月十七日、筆者がまず、上海博物館に対して、訪問と上博楚簡閲覧の申請を行った。折り返し、上海博物館から受諾の連絡があり、それを受けて、閲覧を希望する資料について渡航メンバーの意見を集約しつつ、博物館側との折衝を続けた。その結果、八月六日、以下の上博楚簡の閲覧申請について許可の通知が届いた。
『弟子問』(『上海博物館蔵戦国楚竹書』第五分冊所収)、『凡物流形』甲本・乙本、『武王踐阼』(以上、同第七分冊所収)、『成王既邦』、『李頌』、『蘭賦』、『命』、『王居』、『志書乃言』、『有皇将起』(以上、同第八分冊所収)。
これと並行して、武漢、長沙の訪問についても現地との交渉を進めた。その仲介役となったのは、武漢大学簡帛研究中心に留学中の草野友子である。草野は武漢大の陳偉教授に我々の渡航目的と日程を連絡し、訪問および座談会の開催許可を得た。さらに、陳偉教授から、長沙の湖南大学岳麓書院の陳松長教授および湖南省文物考古研究所の張春龍教授に連絡を取っていただき、これにより、長沙での旅程もほぼ確定した。
こうして八月二十七日、武漢在住の草野を除く六名が関西空港に集合し、午後便で上海に到着した。そこで草野と合流し、宿泊先の上海新協通国際大酒店の会議室にて、夜八時から十時まで、翌日以降の打ち合わせを兼ねて研究会を行った。発表者は三名。金城未来が「上博楚簡『成王既邦』」について、竹田健二が「竹簡背面に記された劃痕と竹簡の配列」について、福田一也が「上博楚簡『有皇将起』と『鶹鷅』の形制」について、それぞれ発表した。
翌二十八日の九時四十分、上海博物館に到着し、葛亮研究員の出迎えを受け、直ちに地下二階の特別室に招き入れられた。ここで驚いたのは、撮影クルーが待機していたことである。博物館では、開館六十周年の記念映像を制作中とのことで、我々の訪問の様子が収録されることとなったのである。そうした訳で、若干の緊張を強いられたが、先に申請していた通りの上博楚簡が次々にテーブルの上に置かれ、充分に時間をかけて閲覧することができた(上博楚簡実見および葛亮氏との会談の詳細については本稿第二章参照)。閲覧と会談の時間は一時間二十分。その後、メンバーは散会して、博物館内を見学した。ちなみに筆者は、印章、書法、青銅器の各室を約一時間かけて見学した。
昼過ぎ、上海博物館を後にして、上海浦東空港に向かい、そこから武漢に飛んだ。武漢着は午後六時。その日は、夕食をとり、武漢大学付近の易斯特国際酒店に宿泊した。
三日目となる八月二十九日は、まず午前中に湖北省博物館を見学し、昼食後、武漢大学に向かった。簡帛研究中心のご好意により、我々のために会議室を貸していただけることとなり、午後二時から三時二十分まで研究会を行い、草野が上博楚簡『命』について発表した。
そして約束の三時半から、簡帛研究中心の先生方との会談が始まった。同席していただいたのは、李天虹教授、劉国勝教授、宋華強副教授の三名(陳偉教授は長期出張のため不在であるとの連絡を事前に受けていた)。
活発な質疑応答が約二時間にわたって行われた。
特に注目されたのは、簡帛研究中心で進められている複数のプロジェクト、二〇一〇年に湖北省で出土した厳倉楚簡の整理状況、その他の新出資料の情報、そして、包山楚簡、北京大学竹簡、上博楚簡、厳倉楚簡などの竹簡背面に見られる「劃痕かっこん」「墨線ぼくせん」に関する情報である(その詳細については第二章および第三章参照)
四日目の八月三十日は、午前中に、武漢から長沙へ高速鉄道で移動した。所要時間は約一時間半。昼食後、宿泊先の瀟湘華天大酒店でチェックインを済ませた後、車で岳麓書院に向かった。今年からの新制度で、民間の車は岳麓書院に直接乗り入れることができず、書院から約一キロ離れた駐車場で、専用のシャトルバスに乗り換えることとなった。
約束の午後三時に書院に到着。陳松長教授の出迎えを受け、まずは書院内を見学した。ここで注目されたのは、正門を入って左手の所に新設された中国書院博物館である。これは、二〇一二年七月にオープンしたばかりの博物館で、中国の書院文化を、様々な資料に加え、タッチパネル式のモニターなども備えて紹介するものであった。一時間ほどの見学を終えた後、博物館二階の一室に招き入れられ、そこで、岳麓秦簡計三十簡を実見し、陳教授と会談した(その詳細については第四章参照)。
最終日となる八月三十一日は、朝九時に湖南省文物考古研究所に向かった。そこで張春龍教授の出迎えを受け、実見を希望する簡牘を尋ねられたので、我々は里耶秦簡と郴州蘇仙橋三国呉簡を要請した。その後、簡牘を収蔵している部屋の隣室に招き入れられ、希望通りに里耶秦簡と三国呉簡を実見することができた。竹簡はガラスケースの中に並べられており、部屋の入り口側に里耶秦簡が九簡、奥側に三国呉簡が十一簡並べられていた
(その詳細については第五章参照)。
一時間ほどの訪問を終え、次に馬王堆漢墓跡に向かった。ここは現在、湖南省博物館の管理下にあり、馬王堆三号墓坑をそのまま屋根で覆って展示している施設である。大規模な墓坑を見学して、特に馬王堆漢墓帛書の学術的意義を改めて痛感した。なお、出土品を展示している湖南省博物館は現在改修中のため見学はできなかった。
最後の訪問先となる長沙簡牘博物館に到着したのは、同日の午後二時半であった。二〇〇六年に我々が長沙を訪問した際には、走馬楼三国呉簡十余万枚が出土した上に建つ平和堂デパートの五階の一角が「平和堂出土文物展・三国呉簡陳列室」となっていたが、現在、平和堂にその施設はなく、関係資料はこの長沙簡牘博物館で展示、研究されている。
この博物館は市内中心部の白沙路にあり、二〇〇七年十一月のオープン。国家二級博物館で、長沙市文物局に属している。一九九六年に発見された走馬楼三国呉簡、二〇〇三年に走馬楼の古井戸から出土した西漢簡牘を中心に、出土文物を、年代別・種類別に展示する現代的な施設である。一階は「三国呉簡」「中国簡牘」「世界文字載体」「中国簡牘書法」などのコーナーからなり、二階は、「長沙出土文物精華展」として、青銅器・陶器・漆器などの展示があり、青銅器の編鐘の演奏実演も特別に披露された。収蔵文物は約三千五百点にのぼるという。その後、簡牘の整理室に案内され、三国呉簡整理保護項目の責任者である宋少華教授と対面した。ここでは、前記の三国呉簡と西漢簡牘の整理が五名の研究員によって行われており、特に注目されたのは、赤外線カラースキャナを使った西漢簡牘の画像の整理である。西漢簡牘は全体で約一万枚余。内、有字簡が二千枚程度、白簡(文字の記載されていない簡)が八千枚程度。紀年簡(干支の記された簡牘)が約二十枚含まれており、その分析によって、おおむね武帝期のものと推定されている。
この整理室では、二〇一二年に購入したばかりのエプソン製の赤外線カラースキャナを使って、脱水前の簡牘を毎日五~十本ずつスキャンしているとのことであった。スキャナに接続されたパソコンでその様子を拝見したが、画像は極めて鮮明であった。その後、宋教授との質疑応答に入り、簡牘の形制などについて貴重な情報を得ることができた(その詳細については第三章参照)。
こうして全日程を無事終えることができたが、実は、今回の渡航については、若干の不安もあった。まずは、出発日に、史上最大級という台風十五号が沖縄から中国本土に向かいつつあるとの情報があり、予定便が欠航になるのではないかと心配された。しかし、台風は推定進路をそれ、上海にはほぼ定刻に到着することができた。
また、領土問題をめぐって近隣諸国との緊張関係が高まっている時期でもあったが、学術調査を目的とする我々の熱意を、どの博物館・大学でも温かく受け止めていただき、極めて丁重な対応をしていただいた。
我々研究会は、二〇〇五年から毎年、中国に渡航し、中国各地の出土文物を実見調査してきているが、今回ほど、多種大量の簡牘を閲覧できたことはない。これまで継続してきた学術交流が大きく実を結びつつあるとの実感を得た。貴重な出土簡牘の閲覧を許可していただき、また、会談に応じていただいた関係各位に心より御礼を申し上げたい。
(湯浅邦弘)