中国研究集刊 珠号(総五十九号)平成二十六年十二月 一三八~一五八頁
一、学術調査の概要
中国出土文献研究会は、二〇一四年九月一日~五日の日程で、中国上海および甘粛省蘭州において出土簡牘の学術調査を行った。
これまで、研究会では、主として戦国簡を対象として調査研究を進めてきたが、今年度からは、秦漢期以降の出土資料にも視野を拡大することにした。その最初の活動が、この海外学術調査である。
実は前年、香港に赴き、香港中文大学文物館蔵簡牘を拝見して現地研究者と会談した際、『甘粛省第二届簡牘学国際学術研討会論文集』のことが話題となり、また、同館所蔵の漢代簡牘の一部が甘粛省あたりで出土したものではないかとの推測をうかがった(詳細については、草野友子「「香港中文大学文物館蔵簡牘」実見調査報告」(『中国研究集刊』第五十七号、二〇一三年)参照)。その頃から、我々は、甘粛省での簡牘調査の必要性を強く感じていたのである。そこで、今回、上海を経由して、甘粛省蘭州に赴くこととした。旅程は次の通り。
九月一日 | 関空集合。午後便で上海へ。上海泊。 |
九月二日 | 上海博物館訪問。午後便で蘭州へ。蘭州泊。 |
九月三日 | 午前、甘粛省博物館参観。午後、甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館訪問。 |
九月四日 | 各博物館等訪問の報告書執筆についての打ち合わせ。 炳霊寺石窟(二〇一四年六月世( 138 )界文化遺産登録)視察。 |
九月五日 | 朝便で蘭州発。上海を経由して帰国。関空で解散。 |
参加メンバーは、湯浅邦弘(大阪大学教授)、竹田健二(島根大学教授)、福田一也(大阪教育大学非常勤講師)、草野友子(京都産業大学特約講師)、中村未来(大阪大学助教)、白雨田(京都産業大学非常勤講師)の六名である。上海も蘭州も、すでに初秋の気配。幸い天候にも恵まれ、全日程を無事消化できた。
九月二日、上海博物館では、昨年同様、葛亮研究員との会談が実現した。博物館が現在最も力を入れているのは、同館所蔵の青銅器の調査、および図録の刊行である。数年内に全容を公開するが、その際、銘文のある青銅器千三百件を中心とするので、未公開の金文資料が多数公表されることになるという。古文字学研究にとって極めて大きな出来事になろう。
一方、上博楚簡については、担当者の減少により、作業の進捗状況が芳しくないとのことであった。『上海博物館蔵戦国楚竹書』は現在第九分冊まで刊行されているが、この後の分冊、および、楚文字の字書(『字析』と仮称されている)の刊行については、まだ具体的な目処が立っていないとのことである。但し、全竹簡について写真撮影は終了しているという。
同日午後、我々は上海を後にした。虹橋空港から国内便で約三時間、蘭州空港に到着。空港では、一九六九年十月に武威市北郊の後漢時代の墓から出土した「銅奔馬」(別名「馬踏飛燕」)の巨大な像(実物の十二倍)が上海博物館での会談、右端が葛亮氏出迎えてくれた。蘭州は甘粛省の省都で、漢代に金城郡が置かれていたことから、古名を金城という。人口約三百八十万。市街の標高は約千五百メートル。町の南北に山が迫り、その中央を西から東に黄河が流れる。
翌日、午前中に甘粛省博物館を参観した。特に注目されたのは、二階の「絲綢之路(シルクロード)文明展」である。ここでは、武威漢簡『儀礼』や敦煌懸泉置出土『論語』木簡など、多くの簡牘資料が展示されていた(詳細については、甘粛省博物館参観参照)。
昼食後、甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館に向かった。この訪問については、蘭州城市学院・簡牘研究所の孫占宇先生のご高配を得た。研究会メンバーの草野友子が、かつて日本学術振興会特別研究員として武漢大学簡帛研究中心に滞在中、当地の学会で孫氏と面識を得ていたこともあり、孫氏を通じて、訪問と会談を申し入れ、実現したものである。
玄関で出迎えを受けた後、直ちに地下倉庫に招かれ、約一時間半、孫氏、楊眉副研究員、韓華館員の立ち会いの下、居延新簡、天水放馬灘秦簡、敦煌馬圏湾漢簡、敦煌懸泉置漢簡、肩水金関漢簡の実見を行った(その詳細については甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館での出土簡牘実見参照)。その後、三階の会議室に場所を移し、約一時間半、孫氏、韓氏、副研究員の肖従礼氏、馬智全氏と会談した(会談の詳細については甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館での会談参照)。張徳芳所長は別の会議中であったが、この会談の最後のところで同席され、挨拶を交わすことができた。ちなみに、孫氏らは西北師範大学の卒業生で、いずれも張徳芳氏の弟子にあたるという。
今回の簡牘視察で特に心に残ったのは、甘粛省文物考古研究所で拝見した多数の簡牘類である。完簡・整簡もあったが、ほとんどは残簡で、中には、木簡の一部の表面を削り取ったものが台紙に貼り付けられているという状況であった。こうした残簡をも一枚と計算すれば、これまで我々研究会メンバーが一度に実見した簡牘の内、数量という点では、おそらく最多であろう。
しかし、これらの整理に当たっている専従の研究員は、会談に参加していただいた方を含む四~五名程度とのことである。その数量からすれば、気の遠くなるような作業である。また、甘粛省には、これ以外にも、フィールド簡が発見される可能性は高く、極端に言えば、強い風が地表の砂を吹き飛ばせば、その下からまた新たな簡牘が見つかるかもしれないとのことであった。
甘粛省は出土簡牘の宝庫であるが、その全容が解明されるのには、まだ相当な時間がかかると感じられた。
(湯浅邦弘)