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甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館での会談

甘粛省出土簡牘調査報告 INDEX

中国研究集刊 珠号(総五十九号)平成二十六年十二月 一三八~一五八頁

四、甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館での会談

簡牘の実見調査後、我々は館内三階の会議室に移動し、午後四時~午後五時半まで会談を行った。孫占宇氏のご配慮により、同館館員の韓華氏、副研究員の肖従礼氏、馬智全氏にも同席いただくこととなった。以下、会談での主な論点を三つの項目に分け、それぞれの内容について報告したい。

(1)施設相互の関係と資料の公開状況

会談の様子

会談の様子1

会談において、我々がはじめに質問した内容は、甘粛省博物館と甘粛省文物考古研究所、そして現在建設中の甘粛簡牘博物館との関係である。その回答は、以下の通りであった。

甘粛省文物考古研究所は、一九八六年以前は甘粛省博物館の文物工作隊として博物館に所属しており、一九八六年に独立した。二〇〇七年には甘粛簡牘保護研究中心が設立されたが、実際には文物考古研究所と重複する組織であり、研究者も同一である。ただし、仕事の内容上、文物考古研究所と簡牘保護研究中心の二つの名称を持ち、二種類の仕事を同時に行っている。二〇一二年末には、簡牘保護研究中心を甘粛簡牘博物館と改称して独立させ、現在では甘粛省博物館・甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館は、三つの独立した組織となっている。そして、これらはいずれも甘粛省文物局に属している。このような経緯から、研究者は、文物考古研究所と簡牘博物館とを兼任しているという複雑な関係になっている。

我々が訪問した建物は、簡牘博物館の辦公室(事務室)という位置づけであり、別の場所に一般参観用の博物館を建設する計画が進められている。ただし、現時点では建設地は未定であり、五年後の完成を目指しているとのことであった。すなわち、簡牘博物館とは言っても、我々が訪問した場所は一般参観ができる施設ではなく、館内に資料が展示されているわけでもない。従って、資料調査のために訪問するならば、事前に連絡をして許可を得、特別に実見をさせていただくという手順が必要になる。

現在、簡牘の整理に当たられているのは、この日会談に出席された四名(孫占宇氏、韓華氏、肖従礼氏、馬智全氏)が主要メンバーであるとのことであった。前述の通り、建物の中には文物考古研究所と簡牘博物館の二つの部局があり、この日実見した簡牘はすべて簡牘博物館の所蔵となっている。

簡牘博物館には、全部で約六万枚の簡牘が収蔵されている。主なものは天水放馬灘秦簡や漢簡(居延新簡、敦煌馬圏湾漢簡、敦煌懸泉置漢簡、肩水金関漢簡等)であり、そのほとんどがすでに基礎的な整理を終えている。居延新簡・敦煌馬圏湾漢簡・天水放馬灘秦簡は、すでに釈文・図版が公開されており、肩水金関漢簡は現在公開が進んでいる(注11)。敦煌懸泉置漢簡については、約二万三千枚の簡牘が存在するが、未整理の状態で、まだ正式な出版もなされていない。

(2)出土文物に関する質問

今回の実見調査の際、懸泉置から出土した筆を見せていただいた(甘粛省文物考古研究所・甘粛簡牘博物館での出土簡牘実見参照)。そこでまず、墨で書く筆は相当早くから使われていたのか、という質問をしたところ、新石器時代にはすでに彩陶を書くのに筆は必要であったと考えられるが、書写という行為がいつ頃から始まるのかという問題については定かではない、との回答であった。ただし、殷代にはすでに書写のための筆が存在していた可能性があるとの見解も述べておられた。筆の材質については、その地域で現地調達されているものであり、羊・狼・兎の毛が多く、当館に保存されている筆の一本は狼の毛、もう一本は羊の毛であるとのことである。

次に、竹簡と木簡の保存方法に違いがあるのか、という点について質問した。これについては、当館において脱水処理が施されたのは天水放馬灘秦簡の四百六十枚あまりのみであり、これは発見された当時すでに水の中に浸かっていたため、脱水・整理が行われ、すでに十数年経過しているとのことであった。居延新簡・馬圏湾漢簡・懸泉置漢簡などは、埋めてから間もなく、乾燥した気候の中で自然に脱水状態になり、それゆえ発見された当時から人工的な処理は一切行われず、今現在まで保存されてきたそうである。ただし、今後はこれらの木簡についても、自然のままではなく、保護措置を施す予定であると述べておられた。その方法は主に二種類で、一つは、曲がった簡をまっすぐにした後に試験管の中に入れ、そこにガスを入れてから密封して保存する、というもの。もう一つは、直接試験管の中に入れて密封する、というものである。武威漢簡『儀礼』は、後者の方法で保存されており、三、四十年経っても変化が見られないため、このような保存方法はコストも低く有効である、といった見解も述べておられた。

会談の様子

会談の様子2

甘粛省出土簡牘に木簡が多く竹簡が少ない理由については、現地で採取できる材料によるところが大きいとのことであった。木簡に関しては、使用されている木材は主に三種類あり、紅柳、胡楊、松である。竹簡に関しては、天水放馬灘秦簡は、もともと竹が生息する地域であったために、竹簡が使用されているとのことであった。書写材料と内容の関係については、竹簡にしろ木簡にしろ、書写されている内容とは直接的には関係がなく、内容によって材質が変わるということはないであろうとの見解を示された。なお、当館所蔵の竹簡の中には、現地の素材ではないものが含まれているそうであり、内地から西北に赴任した役人が持参したものではないかと考えられている。ただし、このような竹簡は五十~七十枚程度であり、その内容は身長・体重・年齢・肌の色などを記した身分証明の役割を持つものであるとのことであった。
また、近年、北京大学蔵西漢竹書(北大漢簡)をはじめとする竹簡背面の劃線が注目を集めており、この点についても質問した。典籍になっていない古佚文献を研究する際にしばしば問題となるのは、竹簡の排列をどう復原するか、という点であり、劃線は復原の手がかりになると考えられている。そこで、甘粛省出土の簡牘にはそのような現象が見られるのか、と質問したところ、以下のような回答があった。背面の劃線には興味を持っているが、西北簡に関しては背面の写真を撮影したことがなく、その存在を考えたこともなかった。西北簡の排列については、ほとんどの場合、竹簡の裏面に通し番号が書かれており、すべてその番号によって排列されている。ただし、背面に番号がない簡も一部あり、日本の大庭脩氏が整理・復原したものの中にも背面に番号がない簡がある(注12)。

武威漢簡『儀礼』については、表面に通し番号があるが、これは先に編号を書き、冊書を作ってから書写されたものと考えられている。居延新簡や敦煌馬圏湾漢簡などは、まず先に編綴されてから書写されているため、順序がわかりやすい。孫氏によると、西北簡に関しては、ある程度規則があり、炭素測定値や筆跡・素材が一致した場合は、それによって排列がわかる。天水放馬灘秦簡は、上段・下段の二段に分けて書写されているため、例えば、下段のロジック関係がわからなくても、上段にある程度ロジック関係がある場合には順序がわかる。また、文献を復原する際には特殊な符合にも注目しており、天水放馬灘秦簡の中には、書き始めの部分には四角の墨点(「■」)があり、書き終わりの部分には縦の一本の線┃(現代の「。」のような役割)があるため、それに基づいて文献の一部を復原したことがある(詳細は、孫占宇「放馬灘秦簡編連十二例」(『簡帛』第八輯、武漢大学簡帛研究中心主編、上海古籍出版社、二〇一三年)参照)、とのことであった。

(3)文献の内容に関する質問

まず、「日書」に関わる問題について、「日書」の中には、夢占いに関する記載が多く見られるが、一方で、岳麓書院蔵秦簡には夢占いを扱った『占夢書』がある。そこで、「日書」と「占夢書」の関係について質問したところ、「占夢書」に関しては、現在中国で大きく二つの観点があるとのことであった。一つは、数術類も「日書」に属されるため、「占夢書」も「日書」の一部と考えるもの。もう一つは、「日書」は日を選ぶ「擇日書」であり、それ以外のものは含めない、と考えるものである。岳麓書院蔵秦簡の整理者は「日書」のことには言及せず、「占夢書」と命名している。孫氏は、この問題は非常に難しいが、北京大学所蔵の簡牘の中にも「日書」が含まれていることから、すべて占いと関係があるのではないか、との見解を示された。

天水放馬灘秦簡の乙種の中の六枚は、最初は「墓主記」と名付けられていたが、後に「志怪故事」と命名された。これに対して孫氏は、「志怪故事」を「日書」の一部として分類し、「丹」と名付けた。この文献は、丹という男が傷害罪により処刑され、三年後に復活するという内容であり、北京大学蔵秦簡牘『泰原有死者』(死者が蘇り、死後の世界と埋葬時の注意事項などを述べるという内容。全容は未公開)との関連が注目されている。孫氏によると、「日書」は睡虎地秦墓竹簡の出土時にその存在が明らかとなり、伝世文献の中には「日書」という言い方すらなく、その定義ははっきりとはわからない。孔家坡漢簡の「日書」を整理した武漢大学の劉国勝氏は、数術類もすべて「日書」に分類しても良いのではないかという見解を提示されている、とのことであった。

次に、懸泉置漢簡『論語』に関わる問題について、懸泉置漢簡『論語』は一九九一年に発見され、すでに論文も発表されており、特に韓国の研究者たちが精力的に研究しているとのことである(甘粛省博物館参観参照)。このような、いわゆる典籍の類が『論語』以外に甘粛省で出土しているのかどうかについて質問したところ、現段階で典籍類を最も含んでいるのは懸泉置漢簡であるが、何枚あるかは未発表で、公開しているものも数枚だけであるとの回答であった。また、肩水金関漢簡にも『論語』や『孝経』に関連する簡が含まれているとのことであった(注13)。馬氏は以前、これらの典籍類と『漢書』芸文志とを細かく比較された経験があり、その範囲は基本的に「六芸略」の中に包括されるそうである。また、敦煌や居延などの遺址からは、武威漢簡『儀礼』のような大型の典籍が出土することはほぼ不可能であり、出土するならば古墓からしかないだろうとの見解も示されていた。
総じて、典籍類の簡牘は基本的に極めて量が少なく、断簡が多い。肩水金関漢簡の中にも一部典籍類、例えば経書や数術類に関わる簡はあるものの、量は非常に少なく、一枚しかない場合もあるとのことであった。典籍類が少ない理由については、二つの観点を提示された。一つは、典籍類がわずかながら発見されている以上、西北の地は文化の砂漠ではなく、知識人がいたことの証明になると考えるものである。もう一つは、西北は辺境の地であるから、やはり全体的に見て文化が低いと考えるものである。例えば、西北において「蒼頡篇」や「急就篇」などの小学類の書が大量に発見されているが、文献のはじめの部分のみであるものも多い。その理由は、役人が辺境の地に赴任した際に、かつて覚えた文献の冒頭部分を書き写したものかもしれない、とのことであった。現時点では推測の域を出ないが、このような問題は、西北簡の中の典籍類の公開が進むことにより、徐々に明らかになっていくであろう。

会談後、先生方と

会談後、先生方と

甘粛省出土の簡牘は、二十世紀半ばにはすでに整理・研究が開始しており、他の新出土文献と比べても研究の歴史が長い。また、簡牘のほとんどは出土地が明らかであり、これは研究する上での強みとなっている。膨大な量の簡牘に囲まれながらも、着実に整理・研究を推進されているのは、研究基盤が整っているからこそであろう。今回の実見・会談を通して、我々は現地研究員の方々の簡牘研究に対する熱意を肌で感じることができた。今後、未整理・未公開の文献の全容が公開されるのを心待ちにしたい。

最後に、今回の簡牘実見の実現にご高配いただいた孫占宇氏、ならびに簡牘の閲覧と会談に応じてくださった簡牘博物館の関係者各位に心より感謝申し上げたい。

(草野友子)


(11)敦煌馬圏湾漢簡は一九九一年に『敦煌漢簡』(甘粛省文物考古研究所編、中華書局)として、居延新簡は一九九四年に『居延新簡 甲渠侯官(上・下)』(甘粛省文物考古研究所・甘粛省博物館・中国社会科学院歴史研究所・文化部古文献研究室編、中華書局)として、天水放馬灘秦簡は二〇〇九年に『天水放馬灘秦簡』(甘粛省文物考古研究所編、中華書局)として出版された。また、近年、「甘粛秦漢簡牘集釈叢書」として、『天水放馬灘秦簡集釈』(張徳芳主編・孫占宇著、二〇一三年三月)および『敦煌馬圏湾漢簡集釈』(張徳芳著、甘粛文化出版社、二〇一三年十二月)が出版されており、居延新簡・武威漢簡についても刊行される予定である。肩水金関漢簡については、『肩水金関漢簡』(甘粛簡牘保護研究中心・甘粛省文物考古研究所・甘粛省博物館・中国文化遺産研究院古文献研究室・中国社会科学院簡帛研究中心編、中西書局)として全五巻の計画で出版が進んでおり、第一巻は二〇一一年、第二巻は二〇一二年、第三巻は二〇一三年にすでに刊行され、二〇一四年と二〇一五年に第四巻・第五巻が出版予定である。

(12)大庭修『漢簡研究』(同朋舎出版、一九九二年)など参照。

(13)会談の中で、『肩水金関漢簡』第三巻に『論語』類の文献があると教示いただいた。実際に確認したところ、「子曰、自愛仁之至也、自敬知之至也」(73EJT31:139)という一文が見える簡があった。ただし、『論語』には同文は見られず、揚雄『法言』君子の中に類似する一文がある(「人必先作、然後人名之。先求、然後人与之。人必其自愛也。而後愛人諸。人必其自敬也。而後人敬諸。自愛仁之至也、自敬礼之至也。未有不自愛、敬而人愛、敬之者也。」)。
また、同じく第三巻には、『詩経』『孝経』『易経』の一文が見える簡も含まれている。以下、参考までに列記する。

▼ 詩曰、題積令、載輩鶿載鳴。我日斯邁、而月斯迋迋延。蚤〓興〓夜〓未〓毋〓天〓璽〓所〓生〓者唯〓病〓乎〓其勉〓之〓
(73EJT31:102A)
『詩経』小雅・小宛
「題彼脊令、載飛載鳴。我日斯邁、而月斯征。
夙興夜寐、無忝爾所生。」

▼ 上而不驕者、高而不危。制節謹度、而能分施者、満而不溢。
易曰、亢龍有悔、言驕溢也。亢之為言(73EJT31:44A+T30:55A)
『孝経』諸侯
「在上不驕、高而不危。制節謹度、満而不溢。
高而不危、所以長守貴也。満而不溢、所以長守富也。」
『易経』乾
「上九、亢龍有悔。」

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