四、岳麓秦簡
八月三十日午後、岳麓書院に向かい、陳松長教授の出迎えを受けた。はじめに書院内の各施設とオープンしたばかりの中国書院博物館を見学し、その後、特別室に招かれ、約一時間、岳麓秦簡を閲覧しつつ、陳教授(写真左端)と会談した。
まず、竹簡の保存状況であるが、専用箱に十五本ずつ、それぞれ脱水済みの竹簡一枚ずつをガラス板で挟んで保存してあり、上部にはそれぞれ五桁の整理番号が付されていた。番号は連番ではなかったが、これは、初期段階の整理番号で、分類後のものではないからとのことである。
箱から出された竹簡がテーブルの上に並べられ、白手袋をつけて一本ずつ手に取ることを許された。竹簡背面も確認できるため、非常によい保存方法であると思われた。我々は、これを二セット、計三十本実見した。内、木簡が二本含まれていた。脱水後の竹簡の状態は概ね良好で、字跡も鮮明に見える。写真は、脱水処理前のもの、赤外線スキャンしたものもあるが、字跡は、脱水後の竹簡が一番よく見えるとのことである。
内容は、未公開の簡牘で、主として第三分冊以降に収録を予定している法律関係文書および数書とのことであった。そこで、岳麓秦簡の基礎的情報を確認しておきたい。
岳麓秦簡は、二〇〇七年十二月、湖南大学岳麓書院が香港に流出していた秦簡(出土地不明)を緊急購入したもので、大小八箱に入っていた竹簡はラップで包まれていた。その総数は、二一〇〇枚(ほぼ完整なものは一三〇〇余枚)とされる。また、二〇〇八年八月、香港の収蔵家が購得していた竹簡七十六枚(ほぼ完整なものは三十余枚)が岳麓書院に寄贈された。これにより、岳麓秦簡の総数は二一七六簡となった。岳麓書院が購入した竹簡と、収蔵家が寄贈した竹簡は、形制や書体・内容などが非常に類似しており、同一の出土簡であろうと考えられている。大半は、竹簡であるが、三十余枚の木簡もある。竹簡の形制は三種に大別される。簡長は、①三十㎝前後、②二十七㎝前後、③二十五㎝前後。幅は五~八㎜。編綫は二種で、三道編綫のものと、両道編綫のものがある。編綫痕と文字との関係から、①筆写した後に編輟したもの、②先に編輟してから筆写したもの、に大別される。
筆写時期については、『質日』(暦譜)に、「秦始皇二十七年」、「三十四年」、「三十五年」という紀年が認められる。よって、成書年代の下限は、始皇帝三十五(前二一二)年頃と推測される。
雲夢睡虎地秦簡と類似した秦の律令や役人のための手引き書が含まれていることから、岳麓秦簡の墓主についても、治獄にたずさわった人物であった可能性が指摘されている。
基礎整理の結果、岳麓秦簡は次の七部に大別された。
- (一)『質日』
- (二)『為吏治官及黔首』
- (三)『占夢書』
- (四)『数』書
- (五)『奏讞書』
- (六)『秦律雑抄』
- (七)『秦令雑抄』
このうち、『質日』『為吏治官及黔首』『数』書は竹簡背面に篇題があり、その他は編者による仮題である。
すでに二〇一〇年十二月、朱漢民・陳松長主編『岳麓書院蔵秦簡〔壹〕』(上海辞書出版社)が刊行され、岳麓秦簡の内、『質日』『為吏治官及黔首』『占夢書』の三文献に関する図版(カラー・赤外線図版)・釈文が公開された。また、二〇一一年十一月には、同第二分冊が刊行され、『数』書が掲載された。
我々が閲覧したのは、これらに続く第三分冊以降に収録予定の未公開簡牘であった。至近距離で閲覧できたので、第一分冊の説明にもあった、いわゆる秦隷の字体も確認できた。
次に、質疑応答に移り、まず「劃痕」について質問した。北京大学竹簡、上博楚簡などでは、竹簡背面の「劃痕」「墨線」が竹簡配列の有力な手がかりとして注目されているが、岳麓秦簡ではどうなのか。これについて陳教授は、実は、第一分冊刊行の時点では、そのことにまだ充分な認識がなく、第二分冊の編集段階でその重要性に気づいたとのことであった。岳麓書院では、脱水前の写真も撮影済みであり、背面の写真もすべて撮っているので、今後は、背面の情報にも充分に留意しながら刊行していくという。なお、『岳麓書院蔵秦簡』の第三分冊は二〇一三年の前半に刊行を予定しており、全体では、五~六分冊になるとのことであった。
また、一枚の竹簡の背面に複数の劃痕が付いている現象について竹田健二が質問したところ、竹簡背面の線がすべて劃痕であるとは限らない、また、劃痕はあくまでも竹簡配列の参考とすべきものであり、劃痕だけで竹簡の連接を決定することはできない、との回答を得た。
続いて、筆者(湯浅)は、岳麓秦簡の中で段組筆写が見られる特異な文献として『占夢書』に注目しているので、特にこれを取り上げて質問した。
『占夢書』は、竹簡四十八枚。簡長約三十cm。三道編綫。筆写方式には二種があり、①分段筆写しないもの(満写簡)六枚。内容は、陰陽五行学説による占夢理論を説く。②二段筆写で、夢象と占断を記すもの、とからなる。
陳松長教授は、『岳麓書院蔵秦簡〔壹〕』において、この『占夢書』を、現時点では最古の占夢書文献であると評価している。ただ、若干の疑問もあるので、次の四点について質問し、それぞれ以下のような回答を得た。
- 『占夢書』は文脈をとりづらい部分もあるが、竹簡背面に劃痕は認められたのか。またそれを手がかりとして配列を決めたのか。
→劃痕は認められなかった。敦煌本『解夢書』が天地人の配列になっていることを参考にし、内容に基づく配列を行った。 - 分段筆写していない竹簡五枚を先に配列し、二段組で筆写している竹簡を後に配列しているが、これが逆転する可能性はないか。
→その可能性もある。分段筆写していない五本の竹簡を先に置けば、序(概説)に相当し、後に置くと結論(総括)ということになるが、中国の文書の慣例からすると、序である可能性が高いだろう。 - 二段組の竹簡は、まず上段を右から左に読み、その後、下段を右から左に読むという理解で良いか。
→概ねその可能性が高い。一本の竹簡を上から下へ読むと読みにくいところがある。ただ、上段を先に読み、下段に移るというように読んでも、問題があるところがある。確定できない部分が残る。 - 二段組みの竹簡部分の配列は天地人の分類に基づくとのことであるが、天地人の分類・配列が明確に表れてくるのは、魏晋以降に誕生する「類書」においてである。秦簡の段階でもすでに明確な天地人の分類・配列があったと考えても良いか。
→今回は、天地人の分類・配列を原則とする敦煌本『解夢書』などを参考に配列したもので、秦の時代に明確な天地人の配列があったかどうかは分からない。
このように、『占夢書』については、なお未確定な部分も残るようであるが、竹簡の整理・釈読に当たられた陳松長教授のご苦労は相当なものであったと推測された。
今後、背面の情報にも留意しつつ、竹簡の配列が検討され、より精度の高い釈文が提供されるであろうと感じた。
(湯浅邦弘)