復旦大学の挑戦

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『清華大学竹簡と先秦思想史研究』

湯浅邦弘
中国研究集刊 玉号(総五十号)平成二十二年一月 二八〇―二八八頁

復旦大学の挑戦

北京に二日滞在した後、我々は、九月三日、上海へ移動した。復旦大学を訪問するためである。ここには、二〇〇五年に設立された出土文献与古文字研究中心(以下、研究センターと略称)がある。この研究センターは、近年の出土文献研究の一大拠点になりつつある。

これまで、楚簡研究を主導してきたのは、湖北省の武漢大学であった。次々と国際学会を開催し、我々研究会メンバーも、二〇〇六年六月の「新出楚簡国際学術研討会」に招かれ、研究発表を行ったことがある。また、武漢大学簡帛中心は、インターネット上に「簡帛網」(http://www.bsm.org.cn/index.php)を開設し、新たな研究発表の場を提供した。たとえば、上博楚簡の分冊が刊行されると、ただちにこの「簡帛網」に連日数本ずつの論考が掲載されるという活況を呈したのである。ネットの世界は、武漢大学の一人勝ちであった。

だが、そこに有力な対抗馬として登場したのが、この研究センターである。特に、上博楚簡第七分冊が刊行されると、ただちに復旦読書会が組織され、研究センターのホームページ(http://www.gwz.fudan.edu.cn/Default.asp)に次々と論考が掲載され始めた。これまで武漢大学の「簡帛網」だけを頼っていた他の研究者たちも、このホームページを無視できなくなった。我々が今回、北京の清華大学に続いて、上海の復旦大学を訪問したのは、こうした理由からである。

約束の六時半に研究センターに到着。主任の劉釗教授、施謝捷教授、周波講師、廣瀬薫雄講師との会談が始まった(注2)。会談は夕食をはさんで夜九時半まで続いた。夕食後には裘錫圭教授も加わり、議論に熱が入った。

この会談で注目されたのは、次のような諸点である。まず、研究センターの主要プロジェクトは、大きく分けて古文字学研究と敦煌研究の二つがあり、前者については三つの仕事が同時並行で進められているとの情報である。

復旦大学での会談

復旦大学での会談

第一は馬王堆漢墓帛書の研究。これは、湖南省博物館との提携により、馬王堆漢墓帛書を全面的に見直すプロジェクトである。そのため、帛書の写真をすべて撮り直したそうである。我々が拝見した写真は、既刊の文物出版社版よりはるかに鮮明で、これにより釈読の見直しが進むと期待される。中華書局からの刊行が予定されているという。第二は上博楚簡の研究。第一分冊から第六分冊までを対象とした「字詞」を五年計画で編集し、刊行するとのことである。第三は、戦国時代の文字分析。これは、裘錫圭教授の最も得意とする分野である。十名のスタッフが研究に専念し、これら複数のプロジェクトを推進しているのである。

次に、やや意外だったのは、上海博物館との関係である。我々研究会メンバーは二〇〇七年夏に上海博物館を訪問し、濮茅左氏と会談した。席上、上博楚簡の刊行が当初六分冊で終了するはずであったのが九分冊となり、続いて断簡を集めた別冊が刊行されること、また、これらとは別に、上海博物館が入手している戦国楚簡の字書(濮茅左氏は『字析』と命名)が刊行されること、などの情報を得た(注3)。ところが、この字書については、裘錫圭氏をはじめ研究センター側は詳細を把握しておらず、むしろ、我々の方から情報を提供するという有様であった。同じ上海市内にありながら、積極的な学術交流がなされていない印象を受けた。

また、清華簡について興味深い情報があった。古物商から竹簡を買い上げた経緯については、詳細が明らかにされておらず、購入価格についてもいろいろな噂が飛び交っている。研究センターの得ている情報としては、一簡八〇〇人民元で買い上げたという。これが事実であるとすれば、約二千枚として計百六十万元。日本円に換算して約二千三百万円となる。真相は未詳であるが、ともかく、清華簡の購入には、相当の金額がつぎ込まれたようである。

最後に、研究センター側から、我々研究会メンバーと今後積極的な研究交流を継続したいとの要望があった。これに応える形で、メンバーの浅野教授が、かねて刁小龍氏に中国語の翻訳を依頼していた論考を、研究センターのホームページに提供する旨、約束して、会談は終了した(注4)。

復旦大学

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