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晏子墓と管仲墓・管子記念館

中国山東省学術調査報告 INDEX

中国研究集刊 麗号(総四十八号) 平成二十一年六月 一七二 ~ 一八九頁

二、晏子墓と管仲墓・管子記念館

晏子墓

晏子墓

九月二日の午後、青島に到着した我々は斉国の都であった臨★[シ](現在の★[シ]博市)に移動し、古車博物館、斉国歴史博物館、殉馬坑を見学した後、晏子墓へと向かった。

周りは見渡す限りのトウモロコシ畑で、その中にひっそりと鎮座しているのが晏子墓であった。バスを降り、狭い農道を五十メートルほど歩くと右手に墓へと続く参道が見えた。墓の正面には、「齊相晏平仲之墓」と刻まれた墓碑があり(写真)、傍らに晏平仲の肖像画が描かれた石碑も併設されている。筆者は十二年前(一九九六年)にもここを訪れたことがある。当時はまだ参道はなかったと記憶しているが、それ以外は十二年前とほとんど変わりないものであった。夕暮れ時で辺りは静まりかえっており、節倹を尊んだ晏嬰の姿が偲ばれるようであった。

翌九月三日の早朝、我々は臨★[シ]市街の南、牛山北麓に位置する管仲墓を見学した。途中、車高制限のある高架下を通過せねばならず、専用バスから乗用車に乗り換えて現地へ向かった。十二年前(一九九六年)に同墓を訪れた際には、質素な管仲の墓碑が立てられているのみであった。しかし現在、管仲墓は立派に整備され、管子記念館として完全に観光地化されていた。

管仲墓

管仲墓

まず正門前では、威風堂々たる管仲像が我々を出迎える。その奥には黄色を基調とした宮殿風の建物がならび、「斉」と記された黄色の旗がたなびいていた。建物の中は管仲記念館となっており、「管鮑之交」等の管仲にまつわる有名な場面が等身大の人形により再現されている。印象的だったのは、建物の東西に「文治」と「武事」の文字が掲げられていることであった。管仲の政治は、文武両道であったということを表しているのであろう。中央後方にある「管仲祠」を抜け、奥の階段を登ると、ようやく管仲墓に到着した。先の晏嬰墓とは比較にならないほど立派なお墓で、黒塗りの墓碑に金文字でくっきりと「齊相管夷吾之墓」(写真)と刻まれている。晏嬰と管仲はともに古代斉国の賢臣だが、彼らに対する現在の評価は、両者の墓を見る限り、歴然とした違いがあるようだ。

かつて「臨★[シ]の中は七万戸…車轂撃ち、人肩摩れ…」(『戦国策』・『史記』)と謳われた盛時の面影はないものの、近年における中国の経済発展により、臨★[シ]の街は飛躍的な発展を遂げているように感じられた。臨★[シ]の街並みが一望できるこの高台から、管仲はどのような思いでこの変化を眺めているのであろうか。

(福田一也)

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