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湖南省長沙

中国湖南省長沙学術調査報告 INDEX

『戦国楚簡研究2006』(『中国研究集刊』別冊特集号〈総四十一号〉)掲載
  平成十八年十二月 二三九―二六八頁

一、調査旅程の概要

二〇〇六年九月二日から七日にかけて、戦国楚簡研究会は湖南省長沙市および上海において、学術調査を行った。

二〇〇一年以来、本研究会は、上海博物館の訪問、大阪大学における国際シンポジウムの開催、台湾大学、清華大学、武漢大学において開催された国際学会への参加など、国際的な学術交流を積極的に進めてきた。今回の調査は、昨年度の湖北省荊門・荊州地区の学術調査に続き、本研究会のメンバーを中心とする共同研究「戦国楚簡の総合的研究」(科学研究費基盤研究B、二〇〇五年度~二〇〇八年度、代表者・湯浅邦弘)の一環として実施したものである。

行程は、以下の通りである

 九月二日 関西国際空港に集合。空路、上海を経由して、長沙へ。長沙泊。
 九月三日 午前、湖南省博物館訪問。午後、長沙市文物考古研究所、岳麓書院訪問。長沙泊。
 九月四日 午前、湖南省文物考古研究所訪問。
午後、馬王堆漢墓見学、平和堂デパート「三国呉簡」展示見学、長沙市文物考古研究所分室訪問。長沙泊。
 九月五日 長沙から上海に移動。上海泊。
 九月六日 上海博物館訪問。上海泊。
 九月七日 上海・浦東国際空港から関西国際空港へ。関西国際空港にて解散。

参加者は、本研究会設立時からのメンバーである浅野裕一(東北大学大学院)・湯浅邦弘(大阪大学大学院)・福田哲之(島根大学)・竹田健二(同)に加え、通訳の郭丹(早稲田大学大学院生)の五名である。この他、湖南省長沙における調査にのみ、北京・清華大学に留学中の福田一也(日本学術振興会特別研究員)が現地で合流して同行した(写真1)。

長沙での移動手段には専用マイクロバスを利用、中国国内での全行程に同行するスルーガイド、長沙でのスポットガイドと併せて、予め旅行社を通じて手配した。

最高気温三十八度という厳しい残暑の中ではあったが、すべての調査活動が円滑に行われ、予想以上の充実した成果を収めることができた。主な訪問先の詳細については、下記の「湖南省博物館」(湯浅邦弘)、「長沙市文物考古研究所」(福田哲之)、「湖南省文物考古研究所」(浅野裕一)、「長沙市文物考古研究所分室」(竹田健二)の各節をご覧いただきたい。本節では、旅程全体に関わる情報、および、右の博物館・研究所以外の訪問・見学先について簡潔に記しておきたい。

まず、訪問予定先には、渡航一ヶ月半前の七月中旬に手紙を送り、来訪の日程と目的を伝えた。筆者(湯浅)は、各博物館・研究所の関係者とは全く面識がなかったが、ちょうど刊行されたばかりの拙著『戰國楚簡與秦簡之思想史研究』(台湾・万巻楼、二〇〇六年六月)を同封して、我々が出土文献研究を積極的に推進している研究団体であることを説明し、協力を要請した。これに対して、各博物館・研究所からは極めて好意的なお返事をいただいた。特に、湖南大学副院長の陳松長教授には、後述の通り、主な訪問先について懇切な御教示と御高配をいただき、また、長沙市文物考古研究所の何旭紅所長からは、長沙市簡牘博物館の宋少華館長(長沙市文物考古研究所分室担当)をご紹介いただいた。これにより、当初予定していなかった長沙市文物考古研究所分室を訪問先に加え、全旅程が確定した。

 

長沙

写真1 学術調査参加メンバー(湖南省博物館にて)

写真1 学術調査参加メンバー(湖南省博物館にて)

調査初日の九月三日は、午前中に湖南省博物館(後述)を訪問し、午後に長沙市文物考古研究所(後述)を訪問した。その後、十六時~十七時まで、岳麓書院(写真2)を訪問した。岳麓書院は、長沙市街から湘江を隔てた西側の岳麓山の麓に位置する。北宋の開宝九年(九七六)の創建で、以後、宋元明清を経て、清末に湖南省高等学堂となり、さらに湖南高等師範学校と改称された後、一九二六年、湖南大学岳麓書院となった。白鹿洞書院、応天府書院、嵩陽書院とともに、中国四大書院の一つに数えられる。

真2 岳麓書院

真2 岳麓書院

正門には、宋の真宗から下賜された「嶽麓書院」の扁額が掲げられ、その両脇には、「惟楚有材」「於斯為盛」の対聯が掛けられていた。院内の主な構造物は、講堂、御書楼、文廟などである。文廟は、小規模ながら、孔子像、大成門、大成殿を備える。院内は、市内の喧騒とはかけ離れた閑静な雰囲気に包まれており、ここから、朱熹、王陽明、王夫之、魏源、曾国藩、毛沢東など、近世から現代に至る著名人が輩出したことを実感できた。

また、筆者は、この岳麓書院が「千年学府」と呼ばれ、現在の湖南大学に継承されていることについて、感慨を禁じ得なかった。筆者の勤務する大阪大学文学研究科も、その学問的源流として、江戸時代の学問所「懐徳堂」を有している。歴史の長さは違うものの、同じく、伝統ある学問所を源流とする大学として親近感を覚えた。

翌九月四日は、午前中に湖南省文物考古研究所(後述)を訪問した。昼食には、陳松長教授を招待し、歓談した。陳教授は、湖南省博物館副館長の任にあったが、我々の訪問する直前の二〇〇六年七月に、湖南大学副院長に栄転された。この昼食会では、陳教授が二〇〇八年に、長沙文物の展示のため来日されること、湖南大学と日本の大学間との学術交流を求めておられることなどをうかがった。

写真3 馬王堆三号漢墓址 

写真3 馬王堆三号漢墓址 

昼食後、陳教授と別れ、我々は馬王堆漢墓(写真3)の見学に向かった。一九七二~七四年にかけて発掘された馬王堆漢墓は、現在、三号墓の上に屋根が取り付けられ、墓坑・墓道がそのまま見学できるようになっている。多くの貴重文物が発見された三号墓の大きさを実感できた。また、この裏手には、一号墓の封土が残されており、我々はそこにも上ってみた。馬王堆漢墓は、病院建設のための工事により発見されたものであり、市内の繁華街から意外なほど近い場所にある。
次に我々が向かったのは、市内の平和堂デパートである。ここの地下は、有名な走馬楼三国呉簡十余万枚が出土した場所であり、現在、デパート五階の一角が「平和堂出土文物展・三国呉簡陳列室」(写真4)となっている。ここでは、走馬楼発掘調査の様子や出土簡牘などが、写真・レプリカによって紹介されていた。

写真4 平和堂出土文物展・三国呉簡陳列室

写真4 平和堂出土文物展・三国呉簡陳列室

思わぬ収穫となったのは、展示室横で販売されていた走馬楼三国呉簡の精巧なレプリカである。我々が購入したのは、木牘二点、簽牌、名刺の計四点をガラスケースに収めて装訂したものである。簡牘の形制や書写状況を口頭で説明するのはなかなか難しく、こうしたレプリカは、研究・教育上、大変有用である。なお、馬王堆漢墓、平和堂とも、見学時間はそれぞれ三十分程度であった。

この日最後に向かったのは、長沙市文物考古研究所分室(後述)であり、これにより、長沙での全日程を終了した。

二日間の旅程で、長沙市内の多くの博物館・研究所などを訪問したわけであるが、これは、主な訪問先が市内に集中しており、いずれも車で十~十五分程度で行ける場所にあったことも大きな要因である。もとより、効率よく全行程を消化できたのは、陳松長教授の御高配があったからに他ならない。九月二日夜、長沙に到着した我々は、さっそく陳教授に電話連絡し、湖南省博物館への訪問を改めて確認したが、その際、陳教授は、長沙におけるその他の訪問予定地についてもすべて事前連絡して下さった。二日間の行程に同行していただき、多大の御教示を賜った陳松長教授に心より御礼を申し上げたい。

上海

九月五日に長沙を離れ、上海に移動した我々は、翌九月六日、上海博物館を訪問した。事前に連絡して了解を得ていた李朝遠先生は、あいにく出張のため不在であったが、濮茅左先生が対応して下さり、通訳の姚俊氏を交え、二時間にわたって懇談の機会を与えていただいた(写真5)。

濮茅左先生からは、刊行中の上海博物館蔵戦国楚竹書について多くの貴重な情報を御教示いただいたが、ここでは、主要な三点に限って、以下に簡潔な紹介をしておきたい。

第一は、当初全六冊で完結予定であった『上海博物館蔵戦国楚竹書』が、全九冊程度になり、これとは別に、残簡のみを集めた別冊が刊行されること、また、かなり整った体裁を備える大部の楚簡字書も別冊として刊行されるという情報である。上博楚簡は、現在、中国古代思想史研究において最も注目されている研究対象であるが、これが、六冊に止まらず、全九冊および別冊の刊行が予定されていることは、今後の楚簡研究の展開という点で、大いに注目される。

(右から郭丹、濮茅左氏、浅野、湯浅、福田)

(右から郭丹、濮茅左氏、浅野、湯浅、福田)

第二は、『上海博物館蔵戦国楚竹書』の次の刊行予定である。現在第五分冊まで刊行されている同書については、年一冊の刊行ペースが守られているが、第六分冊も、これまで通りのペースで刊行され、収録文献数も、概ねこれまで通りとのことであった。つまり、第六分冊は、二〇〇七年早々の刊行が予定されているということである。

第三は、上博楚簡の公開に関する情報である。残念ながら、今回、我々も上博楚簡を実見することはできなかった。これは、文物保護の観点から、原則として公開しないとの博物館の方針によるという。但し、二〇一〇年に、少数の専門家を招いたシンポジウムを開き、上博楚簡を公開する予定があるとのことであった。

以上、今回の学術調査の概要について記してきた。この調査を企画した当初は、実は大きな不安もあった。全員が始めて訪れる湖南省への旅であり、また、訪問予定先の関係者とは全く面識がなかったからである。しかし、準備段階における各博物館・研究所からの反応は良好で、実際訪問した際にも、懇切な御教示を得ることができた。学術研究における我々の熱意が伝わったように感じられた。

(湯浅邦弘)

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